天保改革

天保改革をした徳川斉昭(なりあき)無駄なことが嫌い

弘道館にはサクラと松が植えられている
これは無駄が嫌いな斉昭だが

桜が天皇を表し
松は徳川家を表すことで
水戸学の思想である

天皇の伝統的権威を背景にしながら、
幕府を中心とする国家体制の強化によって、
日本の独立と安全を確保しようとした
象徴であると言われている

一張(いっちょう)文武弘道館
一弛(いっし)は偕楽園

厳しいだけでなく時には緩めて
楽しませる事も大切であると言う教え
この 2つがあることでバランス良く
政治を動かしていたと考えている

芸に遊ぶ
2つで一つとして作られている
文武と芸術を斉昭は大切にしている

焼け焦げた後は昭和20年の戦争時
焼夷弾により火災になったが見つけた

市民の方々が風呂の水などを使い消火
したと言われている

学芸員さん曰く
古い建物は偶然残ったのではなく
必然に皆さんの力で残ったと考えているとの事でした

弘道館の構造は国の重要無形文化財に指定されているため

東日本大震災の時壊れた所はすぐには

何も手がつけれませんでした

ある学者さんが『壊れるべきところが壊れたね』と
建物は地震の強さを想定して建てられている
地震の揺れを分散して建てている事がわかる

瓦は 約2万5千枚あるが震災で一枚も落ちていない
日本人の叡智が詰まっていると言われていました

水戸学者は国民の心を一つに天皇を中心に
幕府をまとめるために掲げたと言われている

弾痕の後?
水戸に弘道館あり

江戸時代の地球儀がこの書物に載っています

水戸藩の特徴は国家的視野、実践と先見性であり
西郷隆盛、渋沢栄一など多くの方もこの影響を受けている

ここで大政奉還後の明治元年(1868)4月15日から
7月19日まで弘道館至善堂で謹慎こちらは
慶喜が謹慎していた部屋である

藩主になりたい想いがあり梅を植えたと言われている
学問教育が普及する様に梅を植えた

梅を植えた理由は飢饉などの時に常備食として梅干しを作ること

先の先を読み倹約しながらも
市民が飢饉の被害を受けないよう計算されて梅の木を植えていたそうです
質素倹約、斉昭も質素倹約をしていた
倹約していたがそれだけでは意味がない民と共に楽しむ
厳しさと楽しさを両立していた

その建物として弘道館(厳しさ)偕楽園(楽しさ)
弘道館は市民にも開放していたそうです

最後に今回水戸学を本当に薄皮程度の
勉強会でしたがかなり惹き囲まれました

私の記憶は学校の歴史では尊王攘夷は天皇を敬い
外国人を排除する程度しかわかりませんでしたが

実は攘夷とは日本人の道徳感を形成し
自分の心にある相手を排除する心や
自分自身の心の邪悪さを排除する考えであります

学校の歴史は好きではなかったが
今回の水戸学で少し歴史が繋がり好きになりました

まだ水戸学勉強したいです

こちらも読んでください

https://ibaraki-kairakuen.jp/history/

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